土佐 天空の郷を考える③
前回の投稿の締めくくり書いた
寝台列車での東京入りは
実は
寝台列車に乗れず
大阪で一泊してからの東京入りと
田舎ならではのアクシデントありでした。
この、アクシデントもいつか書こうかなと
思っています。
それでは、迷路に入った処でしたね!
Uターンで帰った時が、32歳
そこから、現在の取り組みを始めるきっかけとなる
木部会ばうむをやろうと決めたのが
39歳
7年も、迷っていた時期ありなんです。
家業の仕事も、仕方なくやる程度で
仕方なくやっていても、
ちょっと、都会でやっていた、
不動産廻りの営業や大型物件の情報収集等で
直ぐに、過去最高の売り上げを記録する
都会でのノウハウで営業活動すれば
以外に結果は直ぐ出たので
田舎の仕事を舐めていました。
空いた時間に、パチンコ三昧の日々
けんど‥
この本山町に元気を取り戻す事が出来ない
家業が幾ら儲かっても何か満足しない
そこで!
何で、皆、こんな不便で生産性の無い町に暮らしているんだろう?
此処で暮らしている理由が解れば
「覚悟」ができるハズ!
本山の歴史を紐解いてみようと
四国の真ん中、山の中
縄文時代後期か弥生時代初期にあたる
遺跡「松の木古墳」が出ている事に、先ず、疑問?
縄文時代という事は
狩猟民族で狩りをしながら拠点を移す移動民族
弥生時代は定住する為に、稲作等を始めた定住型民族
その丁度、境の時代の古墳が出土したと言う事は
狩猟民族が先ず移り住むと言う事に成るはず
何を意味するかと言うと、山の恵みが豊富
又、吉野川の水流が豊で魚も採れ生活が出来たと判断
このころは、未だ、貨幣の価値など全くない時代
移り住みながら、狩猟で生計をたてていた民族が
定住できる農耕を発達さすのには適した土地だった事は確か
「そうか!貨幣価値が無い時代、人が暮らしていける土地は
天然資源が豊富にある場所」となる
此処から、迷路から抜け出す為の、光が見え始めて来ました。
こんな、感じで、順番で書いていきます。
次回は、農耕から始まった、風土、伝統、しきたりを
ぼくが理解し捉えた考え方を紹介できたらよいかな?
飽くまで、事実以外は、ぼくの所見で、正式な物ではないので
ご意見、ご批判がございましたらご教示お願いします(^_^;)
じゃあ、又、次回
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